抗体医薬発明の特許出願における実施例の重要性

  • 判例紹介

小瀬村 暁子 バイオ・化学1G グループリーダー

 

 抗体医薬は、近年、特定の生体分子への標的化などの新たな作用メカニズムに基づく薬効で注目を集めています。しかし、抗体医薬のように新たな作用メカニズムによる薬効については特に、臨床試験結果が出るまで治療効果を予測しにくく、臨床試験開始前に記載要件(サポート要件・実施可能要件)を充足するだけのデータを得るのは困難な場合があります。

 一方で、例えば米国食品医薬品局(FDA)への医薬品申請に関連する臨床試験を実施する者は、臨床試験情報データベースClinicalTrials.govに事前登録し、臨床試験プロトコルや臨床試験結果を公開することが義務付けられています。そのため記載要件を充足するように臨床試験結果に基づくデータを記載した形で特許出願を行おうとすると、公開された臨床試験プロトコルが先行技術になってしまうというジレンマが生じます。

 さらに、抗体関連発明の特許出願では、請求項において、抗原結合性などの機能に基づいて抗体を特定することが伝統的に行われてきましたが、近年、機能的に特定された抗体の記載要件の充足性が争われるケースが多くなっており、記載要件を充足すべく特許出願のために取得すべきデータの範囲を慎重に検討することが重要になっています。

 本稿では、臨床試験を控えた抗体医薬発明の出願における記載要件への対応について一定の示唆を与えた裁判例をご紹介いたします。

知財高裁令和6年8月7日判決
令和5年(行ケ)第10019号 審決取消請求事件

 本件は、発明の名称を「IL- 4Rアンタゴニストを投与することによるアトピー性皮膚炎を処置するための方法」とする特許第6353838号(以下「本件特許」という。)に対する無効審判請求を不成立とした審決を不服として提起された審決取消訴訟(以下「本件訴訟」という。)です。

 無効審判において、特許庁は請求項1~16についての訂正を認めた上で、特許を維持する審決(以下「本件審決」という。)をしました。その取消しを求めた本件訴訟においても、知財高裁は、原告が主張する取消事由(進歩性欠如、サポート要件及び実施可能要件違反)はいずれも理由がないと判断しました。

 本件特許は、ヒト型抗ヒトIL- 4/13受容体モノクローナル抗体デュピルマブを有効成分とするアトピー性皮膚炎治療薬デュピクセント®の医薬用途を保護しています。

 本件訴訟の争点は以下のとおりです。
i)臨床試験プロトコル公開によって医薬用途発明の進歩性は否定されるか
ii)機能的に特定された抗体の医薬用途発明に関するサポート要件・実施可能要件の充足性

 i)については、本件特許出願前に被告(特許権者)らによってFDAに提出され臨床試験情報データベースClinicalTrials.govに登録・公開されたデュピルマブの臨床試験(フェーズ2)のプロトコル(試験実施計画書)(以下「引用発明」という。)に対する進歩性が問題となりました。この臨床試験プロトコルには治験結果は開示されていません。一方で本件特許の明細書(以下「本件明細書」という。)の実施例には、引用発明に対応する臨床試験(フェーズ2)の治験結果が含まれています。

 裁判所は、出願当時の技術常識を踏まえて、当業者は抗IL- 4R抗体の治療効果を予測できなかったと判断し、臨床試験プロトコルに対する医薬用途の進歩性を肯定しました。

 ii)については、本件明細書には1つの抗体のみの薬理試験結果しか開示されていなかったところ、その特定の抗体のみに限定しない「機能的に特定された抗体」(ここでは、抗IL-4R抗体)に関して医薬用途発明のサポート要件・実施可能要件を充足することができるかどうかが問題となりました。

 裁判所は、本件明細書に示された、抗IL- 4R抗体がアトピー性皮膚炎に対する治療効果を発揮する作用メカニズムに基づけば、薬理試験結果が開示された特定の抗体のみに限定されず、抗IL- 4R抗体の全体が治療効果を有することを当業者は合理的に認識でき、また過度の試行錯誤を要することなく目的の抗体を製造できたとして、サポート要件・実施可能要件を充足すると判断しました。

 本件訂正後の請求項1の発明(以下「本件訂正発明」)は次のとおりです。

【請求項1】
 患者において中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)を処置する方法に使用するための治療上有効量の抗ヒトインターロイキン-4受容体(IL- 4R)抗体またはその抗原結合断片を含む医薬組成物であって、ここで前記患者が局所コルチコステロイドまたは局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しないかまたは前記局所処置が勧められない患者である前記医薬組成物。

 本件特許の明細書には、作製した33種の抗ヒトインターロイキン-4受容体抗体の可変領域及びCDRの配列が示されている一方で、薬理試験結果としてはそのうちの1つであるmAb1に関する臨床試験結果のみが開示されています。

i)進歩性

 裁判所は、本件訂正発明の進歩性について以下のように述べました。

 「アトピー性皮膚炎では、病期や部位により複雑にTh1/Th2バランスが変化し、急性期ではIL- 4、IL-13などのTh2系サイトカインの産生が優勢であるが、慢性期に入ると、IL- 4などのTh2系サイトカインよりもインターフェロンガンマ、IL-12産生が優勢となることが本件特許の優先日における技術常識であったと認められる。」

 「アトピー性皮膚炎の急性期と慢性期におけるサイトカインの役割に関する本件特許出願の優先日における技術常識を踏まえると・・・(省略)・・・少なくとも3年間の慢性アトピー性皮膚炎を患っており、IL- 4が優勢である急性期とは異なり、IL- 4よりもインターフェロンガンマ、IL- 12産生が優勢となっていると考えられる引用発明における患者に対し、REGN668(抗ヒトIL- 4R抗体)を治療上有効に用いることを当業者が想到し得たとはいえず、また、臨床症状の改善をもたらすことを容易に予測はできない状況であったと認められる。

 「甲1の試験はフェーズ2臨床試験であるところ、フェーズ2の前に行われるフェーズ1臨床試験は、通常少数の健康人に対し治験薬の安全性や薬物動態を調査するものであり、患者に対する有効性の確認はフェーズ2臨床試験から始められることが技術常識である。・・・(省略)・・・フェーズ2臨床試験の成功の確率は他のどのフェーズよりもはるかに低く、アレルギー疾患の場合、33%程度であり、このことからすると、フェーズ2臨床試験が行われていることから直ちに、当該治験薬が試験結果を見るまでもなく当然に治療上有効であると当業者が理解するとはいえない。」

 「アトピー性皮膚炎における免疫経路の複雑さを考慮すると、IL- 4の作用の遮断という、本件特許の優先日において、アトピー性皮膚炎の治療に対する使用実績のない特定のメカニズムに基づく治療薬について、臨床試験の結果を待つことなく、中等度から重度のアトピー性皮膚炎に対して治療効果が得られると予測をすることは困難であると認められる。

ii)サポート要件・実施可能要件

 裁判所は、本件訂正発明のサポート要件の充足性に関して以下のように述べました。

 「以上の本件明細書の記載及び技術常識を総合すると、本件明細書には、①mAb1は、抗IL- 4Rアンタゴニスト抗体であって、IL- 4Rに結合し、IL- 4のシグナルを遮断する作用を有するものであること、②mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善したこと、③mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーであり、IL- 4によって産生・分泌が誘導されることが知られているTARC及びIgEのレベルが低下したことが開示されていることから、これに接した当業者は、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1のIL- 4Rに結合しIL- 4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解するものといえる。

 そうすると、IL- 4Rに結合しIL- 4を遮断する作用を有する抗IL- 4Rアンタゴニスト抗体(本件抗体等)であれば、mAb1に限らず、本件患者に対して治療効果を有するであろうことを合理的に認識でき、前記(2)に記載した本件訂正発明の課題を解決できるとの認識が得られるものと認められる。

 ところで、本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであることは、原告の指摘するとおりである。しかし、サポート要件の適合性につき、「特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か」等を判断するに当たって、どの範囲の実施例等の裏付けをもって十分とするかについては、当該課題解決の認識がいかなるロジックによって導かれるかという点を踏まえて検討されるべきであり、特許の権利範囲に比して実施例が少なすぎるといった単純な議論が妥当するものではない。

 これを本件についてみるに、本件においては・・・(省略)・・・開示されていることから演繹的に導かれる推論として、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1のIL- 4Rに結合しIL- 4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解されるものであって、課題を解決できると認識できる範囲が幅広い実施例から帰納的に導かれる場合とは異なる。上記作用機序は、本件抗体の一つであるmAb1がIL- 4Rに結合し、IL- 4のシグナルを遮断する作用を有するものであり、mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善し、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーも低下したのであるから、mAb1以外の抗IL- 4Rアンタゴニスト抗体である本件抗体等(mAb1以外の32種)も同様の作用効果を有すると当業者が理解できることは明らかである。

 本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであるとの原告の指摘は、上記認定判断を左右するものではない。」

 裁判所はさらに、本件訂正発明の実施可能要件の充足性について以下のように述べました。

 「本件抗体等は、前記のとおり抗IL- 4Rアンタゴニスト抗体及びその抗原結合断片を意味し、本件明細書の実施例1においては、甲3に記載のように、「mAb1」を含む33種の抗IL- 4Rアンタゴニスト抗体が取得されたことが記載されている。そして、甲3は、本件特許の出願時において公知の方法により取得した抗IL- 4R抗体を、結合親和性及びhIL- 4のhIL- 4Rへの結合を遮断する効力についてスクリーニングすることにより、hIL- 4の活性及びhIL-13の活性をブロックする抗体、すなわち抗IL- 4Rアンタゴニスト抗体を得ることを開示したものである。また、実施例の記載によれば、本件患者にmAb1を投与すると、mAb1のIL- 4Rに結合しIL- 4を遮断する作用、すなわちアンタゴニストとしての作用によりアトピー性皮膚炎治療効果を発揮することを理解することができる。

 そうすると、当業者であれば、本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて、IL- 4Rに結合しIL- 4を遮断する作用を有する抗IL- 4Rアンタゴニスト抗体、すなわち本件訂正発明1における抗体を、公知の方法及びスクリーニングすることにより、過度の試行錯誤を要することなく製造することができ、それを、本件患者に対して投与した場合に治療効果を有することを合理的に理解できるものと認められる。

 本件では進歩性、サポート要件・実施可能要件のいずれも満たすと判断されましたが、この結論には、認定された技術常識と本件明細書の記載内容が大きく影響しています。

 裁判所は、「炎症部位や病期によってTh1/Th2バランスが変化し、このバランスのみでアレルギー疾患を理解することは困難であった」という技術常識があったにもかかわらず、本件訂正発明では、IL- 4の遮断という、アトピー性皮膚炎の治療に対する使用実績のない新たなメカニズムにより、中等度から重度のアトピー性皮膚炎に対する治療効果をもたらすことができることを臨床試験において初めて示したことを重視して、治験結果を開示していない臨床試験プロトコルに対する進歩性を認めたものと思われます。

 また裁判所は、本件訂正発明における抗IL- 4R抗体について、「IL- 4Rの正常な生物学的シグナリング機能を阻害するIL-4Rアンタゴニストとして作用する抗体を意味すると解され、mAb1も、当該作用を有するものである」と認定した上で、本件特許明細書がそのIL- 4Rアンタゴニスト作用を十分に裏付けていると判断し、抗IL- 4R抗体の範囲全体について治療効果を認めました。本件特許明細書に、抗IL- 4R抗体を、抗IL- 4Rアンタゴニスト抗体としてより狭く解釈できる記載があったことが功を奏したものと思われます。もし本件特許明細書に特段の記載がなければ、本件訂正発明における抗IL-4R抗体は、IL- 4遮断作用を有しないものを含めて広く解釈され、サポート要件・実施可能要件を充足するとは判断されなかったかもしれません。

 抗IL- 4R抗体が抗IL- 4Rアンタゴニスト抗体として狭く解釈されたことに加えて、本件特許明細書には、アトピー性皮膚炎の臨床症状の改善を示す臨床試験結果だけでなく、当該抗体がIL- 4Rに結合しIL- 4を遮断する作用を裏付けるバイオマーカーのデータも開示されていたことにより、IL- 4遮断作用が中等度から重度のアトピー性皮膚炎に対する治療効果をもたらすメカニズムが十分に裏付けられていると判断されたことが、本件訂正発明のサポート要件・実施可能要件の充足性が認められる上で重要であったと考えられます。

 本裁判例は、抗体医薬をはじめとする医薬用途発明の特許出願においては、技術常識から予測困難な新規メカニズムに基づく新規有効成分の治療効果を丁寧に裏付けるデータを明細書に記載することが、機能的に特定された抗体の記載要件の充足のみならず、進歩性を主張する上でも役立つ可能性を示唆しています。

小瀬村 暁子

2000年に平木国際特許事務所に入所。バイオテクノロジー、医薬品、診断法、微生物、食品、及び化粧品の分野において幅広い特許実務の経験を積み、特に遺伝子工学、細胞工学、植物育種、ウイルス学、遺伝子検査、再生医療などの分野を得意とする。また、微生物や飲食品の分野に特有の特許実務において豊富な経験を有する
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